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     *よりハッピーになる微笑む空間をつくりましょう!!*
     
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-・ 15の幾何学的性質―強い中心性― ・--

 

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花寒の中、日曜日の春うららの天気を思い出し、

三寒四温の内に、いつの間にか季節が移り変わっているこの頃です。

それにしても、今年の桜は素晴らしく、

花吹雪もこの世のものとは思えない程でしたね。(*^o^*) 

 

皆様、お元気ですか。

いつも、ご購読ありがとうございます。(*^o^*) 

私は、風邪に引き続き花粉症になり、

どちらの為の鼻炎かあいまいで、どちらの薬を飲めばいいのか迷い、

身体も自然と一体、身体内部もひとつの全体と妙に納得する日々でした。

 

さて、前回は、「生きている構造」が

「生きているプロセス」から生まれてくると、

自ずと備わっている「15の幾何学的性質」について進め始め、

LEVEL OF SCHELE:大きさの段階性」を取り上げました。

今回は、「STRONG CENTER:強い中心性」について、見ていきましょう。♪♪(^o^)♪♪

(The Nature of Order U p.151p.164)


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STRONG CENTER:強い中心性」

C・アレグザンダーは、「15の性質のそれぞれを観て行くと、

その次の別の性質に気づいていくという傾向がありました。

例えば、「大きさの段階性」を観ていると、

各々の大きさのレベルで、

様々なセンターに、全体性を、何かぼんやりとしたものだが、

「強い中心性」に気が付き始めるのです。」と始めています。

 

 ずっと前に、中心性ということが、

全体性を生むのに鍵となる要素であるとして、

より一般的な中心性の役割について取り上げたことがありました。

ここでは、15の幾何学的性質のひとつとして、

全体の各要素として存在しているセンターを、

更に強めているという中心性についてです。(^_-)☆

 

アレグザンダー教授は続けています。

「際立った例として、

互いにセンターを強め合っているのが見て解かるカイロのモスクです。

ここで、私達は、多くの互いに強め合っているセンターを目にすることが出来ます。

大きな中庭、大ドーム(天蓋)、小ドーム、個々の銃眼付きの胸壁、段々、入り口、

個々のアーチ、屋根の分割でさえも、それぞれのセンターが互いに強め合っています。

更に、それぞれの部分は対称性を備えています。

それが、結果として、強い中心性を引き起こしているのです。

それぞれの各センターは、その周囲にフィールド、場を形成するのです。

そして、それは、ここの部分的対称性を超えて拡がっているようです。

たとえば、カイロのドームのパワーは、

3つのドームの前進していくような連なりによって引き起こされているのです。

それぞれが、より高くと、頂点としての主ドームに到るようにと導いています。

全ての構造は、この主ドームのために建てられたのです。(^_-)☆

実際に、私達は、センター、中心としてのこのドームを知覚します。

唯、ドームの形からのみではなく、

その配置、全体としての、複合的建物の中で、

このドームが持つ幾何学的役割によってなのです。(^_-)☆

 

次に、より劇的に理解することが出来る例です。

18世紀のアナトリアン・カーペットの切片を見てみましょう。

それは、中心性の特徴を、ストレートに驚くべき度合いで備えています。

ほとんど全ての良いカーペットは、いつかの強い中心性を備えています。

幾何学的な中心性である必要はなく、

しかし、注意を引く中心性で、焦点としての中心性です。(^_-)☆

もしも、その中心/センターが、単に中央に在るだけのものならば、

貴方がそこに座って被さった時に消えてしまいますので、

そのパワーはかなり弱いものと言えます。

強い中心性として効く為には、

カーペット全体が、この中央を支えて周囲を囲う層を構成し、

誰かが、カーペットに近づくと、この中心に気が付いて、それに目を留めて、

そこから離れて又戻って来たときに、同じように繰り返せるというような感じが、

無理なく起こるのです。(^_-)☆

 

ポタラ広場の例も、この強い中心性が見て取れます。

アーケード、柱、柱頭、そしてディティール/詳細……….,

それぞれが、全体を通してのフィールド/場の効果に貢献しています(^_-)☆

 

一方で、現代建築では、このセンターのヒエラルキー(階層性)を創るのは、

度々難しくなっているようです。

なぜなら、実際上、おそらく何をセンターにするのか解からないからです。

今日の家族の典型的なプラン/間取りで、何が中心になるでしょうか。

(民家の囲炉裏や、本来の書院の床の間に比べて、今ひとつ、明瞭さが欠けます。)

そこに住む人間関係と同じように、不安定ではないでしょうか。

現代の家族自体が、中心を欠いているということを反映しているようです。

私達が、問題を解決する方法を知っていたとしても、

その建築の中で、レベルの連続を持たせるに充分重要な機能は、何なのか、

キッチンか、それとも視聴覚機能を備えたリビングルームか、確かではないのです。

それらの機能は、重要であっても、あまりに感情的に中立的で、

力強い幾何学的な中心性を支えることはできないのです。

以前、力強い中心となっていたのは、暖炉、主寝室のベット、食卓….

これらは、もはや、かっての力を持つことが無く、

なぜなら個人として、家族としても、

私達の中には、中心を見出していないのですから。

現代的家族の戸惑いが、それらの住宅の中心性の欠如として、現れているのです。

しかしながら、住宅がより明らかな中心、

エネルギーが集まる場としての中心をもって構成された時、

住宅が、そこに一緒に住む人々の生活において中心をつくっていくのに、

より影響力のあるものとなって、まだ起こったことがない力を持ち得るのです。

 

例えば、強い中心性の概念を明らかにする為に、

フランク・ロイド・ライトの住宅のひとつを見てみましょう。

それは、ひとつの中心性を創造する場の効果について、私達に学ばせてくれます。

場の効果と「その」センターの力は、

それに到るまで導く他の近くの幾つかのセンターの連なりによって、

創造されています。

良い例として、宗教的建築の身廊がありますが、

ひとつの終端へと達する柱間の連続は、それらが全て等しく均等であるよりも、

そのクライマックスへと導きながら、どんどん強まっていく感じなのです。


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一般的に、何か主要な構造と、それを支える他の構造があります。

全体性を導くひとつの最大の構造があるのです。

時に、この重要さ、または中心性は、一見して解かるような、

小さな部分、詳細によって創られています。

 

例えば、祈祷用カーペットのアーチに吊るされているランプは、

確かな役割を持っています。目を留まらせ、中心を創るという役割です。

しかしながら、それは、ひとつの点では、充分ではないのです。

それは、それ自体においてセンターを形成する構造であることが必要だからです。

おそらく、最低限、ひとつの大きな点であることが必要で、

その下により小さめの3つの点を伴っていることが必要なのです。

更に、それは、上下逆さまにしてみることも出来て、

ランプでなくとも、どのようなデザインでも良くて、

ひとつの強い中心性を定めるに充分な構造を持つことが出来るのです。(^_-)☆

5つのニッチ、壁の窪み(壁がん)を持つ、複雑で洗練されたカーペットの例ですが、

ランプは、そのニッチを強い中心とするのに、多大な役割を担っています。

ニッチのセンターが、ランプによって効果的に創造されているにもかかわらず、

センターであるのは、ランプそれ自体ではないのです。

ランプは、単に空間を方向付けて、

より大きな空間における場の効果を起こすのに、役立っているのです。

センターは、その領域を東方に方向付けて、

5倍か10倍もランプだけのよりも、大きな中心となっているのです。

そして、それが、このカーペットに深い情緒を創造しているのです。

ランプは、ただ、各々のニッチの芯に向かって、

進んでいくような動きの感覚を創っている多くの構造のひとつです。

それは、強い中心性を創造するのに一緒に働く、

それらの異なった中心全ての効果が結合されて、一端から一端に及ぶ全体なのです。

どうして、ひとつのランプよりも、ひとつの点が弱いかという理由は、

ランプ其れ自体が、いくつかの前進するセンターのひとつであり、

ただのひとつのセンターではないからです。

そして、このいくつかのセンターの前進は、

このひとつの場で、ひとつの点が出来るよりも、

より強くフィールド/場を構成することが出来るのです。(^_-)☆

 

前回の「LEVEL OF SCHELE:大きさの段階性」と同じように、

STRONG CENTER:強い中心性」の概念は、繰り返し起きるのです。(^_-)☆

別に何か、ひとつの立派なセンターがあると言っているのではなくて、

かなり様々なスケールで、私達がセンターの存在を感じることが出来て、

異なった段階でこのいくつもの異なったセンターの多様性を

感じることが出来るのです。(^_-)☆

そして、それが、私達を引き付けるのです。

多くの場合、休む場所とか、中央とか、

最も重要な場所といった一つの主要なセンターが、

全体組織のセンターであるのですが、

他の場合では、等しく息を飲むようなものですが、写真の鹿のお皿のように、

一つのセンターがあるということではなくで、

波動する小さなセンターの連続としてあるのです。

それでも、その小さなセンターをよく観ると、

様々な点で他のセンターをより強めていると認められるのです。

 

アルベロベロのトリュリにおいては、

それぞれの屋根の頂点が、

単に小さなコブのような丸い出っ張りによって創られているのではなく、

屋根全体が、頂点に向かって焦点を定めて形作られているというやり方によって、

頂点が白色で塗られているというやり方によって、

強いセンターとなっているのです。

これが、センターの核として、

ついにそれに達するというようなやり方で、創られているのです。

 

鍛金のドア取っ手は、鍛金の上下の2枚の板によって、

スクリューでドアに固定されていますが、

この2枚のプレートによって、ひとつのセンターとしてその強さを得ています。

 

例のトルコの皿の鹿は、強いセンターとなっていますが、

なぜなら、鹿が、縁取りと繰り返される円形の柄とから、

突き出ているようなやり方によって、

ずべて見る者の注意を鹿に集中させているのです。

 

図の通り不定形なサンマルコ広場においては、

全ての焦点は、鐘塔が建つ一つの点に向かいます。

それは、注意深く、場の効果を創り出すために焦点を定められているからです。」


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さて、私達に馴染みのある環境をみてみましょう。

 

身近なところに在った、地域社会の中での鎮守の森、

鎮守の森の中の境内、境内の中で、鳥居などの結界から神社に到るまでの全て、

そして社、社の奥に聳える大樹、その強い中心性の構造が、

戦後、様々な理由の元、乱開発や税制問題、車両交通のみを考慮した都市計画からも、

破壊続けられました。

その結果、社でさえマンションの植え込みの一部に置物のように設置されていたり、

設備ユニットと一緒の屋上に追いやられていたりします。

正に、中心を欠いた現代人の精神構造そのもので、

芯を欠いた構造は、内部にしろ外部世界にしろ脆く、

社会的荒廃や病弊を招き易い状態なのではないでしょうか。

 

一方、核家族や3世代家族が標準家族像とされた時代では、

小学校が地域の中心でした。

家族も多様化している今日では、

避難場所ということで、

緊急災害時を思うと小学校を思い浮べる都市居住者も増えているでしょう。

子供のいる世帯にとっては、公園や保育園や小学校、

電車通勤者にとっては、駅周辺、駅ビルやランチをとる職場周辺であったり、

お年寄りにとっては、地区会館やデイケアセンターであったりするでしょう。

これから、都市で深呼吸できる貴重な場所として、

農園や果樹園や雑木林や公園など大きな塊としての緑地がセンターになったらハッピー!!

通学路全体も強い中心性として位置付けられたらハッピー(^o^)


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今、大変悩んでいるのが、この子供が通い始めた小学校の通学路です。

地区の緊急避難場所になってもいますが、

その地域の中心ともいうべき小学校に到るまでの中心性が、

実際のところ、全くないのです。(`Д´)

通学路という看板が電信柱に付いているのみで、

歩道もガードレールもない白線のみの道路が通学路となっているのです。

朝の30分位は、車両通行止めになっていても、

帰宅時には、それすらもありません。(`Д´)

一方通行にもならず、2台がすれ違う際は、子供が潰されるようになります。

おまけに大型車両の規制もなく、

狭い道路で角の多い住宅地域で、

宅急便や引越しの大型車両が塀にスレスレに曲がってくるのです。

正に車両野放し状態で、白線を跨いで停車も自由で、

子供に交通規則を守ることを強制して、

大人は守らずとも、保険、金銭的解決で済まされてしまう車優先社会です。

麻痺していない健全な神経の運転者にとっても、恐ろしい状況です。

実は、私も運転者です。

蟻の行列のような通学路でさえもこの恐ろしい状況なのです。(`Д´)


いくら少子化対策、子育て支援と様々な対策が唱えられても、

お手軽な対策をしているというポーズに過ぎないと感じてしまう状況です。

子供をこのような通学路や児童館という狭いスペースに押し込めて、

子供の習性や、心身ともに健康に成長する過程の子供の自由を奪っているのです。(`Д´)

交通規則を守らない子供や、家庭や学校の責任と押し付け合うのではなく、

人間の生活する環境、住環境として都市を修正していくのが、

内的健康、健全な環境を取り戻し、本当に明るい社会を築いていくことになるのです。(^_-)☆

ゆがんだ、実際全体計画のない、

緊急車両通行を竪にどこにでも車を通す都市計画の問題です。(`Д´)


90年代初めに、建設省の明日の都市住宅という研究会で、

大手プレハブ会社やマンション業者が一同に集まった会議中、

「ニューヨークのハイクラスの子女ように、

子供も大人の運転する自動車で通学すれば良い」と、

真面目な意見として出ていたのが、その意識、それが明日となるのかと、

わが国がここまで病んでいるのかと、

めまいがするほどガーンと衝撃でした。


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緊急時の避難路ともなる通学路ですから、

通学路だけでも電柱を埋設し、小学校に向かって沿道整備を進めるのが必須です。

特に、外環などの幹線道路を区内に通す前に、急務なのです。

どうしても、スペースが取れない場合は、

電柱のない子供の自転車が通れる舗道を設置した上で、

車両規制や一方通行にしたり、通学路をセンターとして、

道路網の再考が必要とされているのです。(^_-)☆

宅配便のトラックも、このような角も多い狭い道路の住宅地域では、

小型車に変えるべきなのです。デパートの集配所のように可能なはずです。

急ぐ場合は、当初から小型車やバイク便で手配するというように。

小学校が地域コミュニティの複合施設となっても、

地域の高齢者も安心してぶらぶら歩ける安心な沿道整備ができたらハッピー!!


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私事で恐縮ですが、去る4月6日の我が子の入学式の日に、

その前の始業式を終えた、3年生に進級したばかりの小学生が、

交通事故死で他界されました。

あまりに悲しい身近なこと........。

もう、車両規制や分離信号の話題を出すと、かぶせるように、

もっと渋滞が増えて、交通事故も増えるという説を唱えて、

自動車がのびのび走る為の交通規則を子供に押し付けるのは、止めましょう。

 

子供がどうして子供なのか、大人は認識するべきなのです。

交通規則をいくら学んでも、夢中になると忘れてしまうのです。

全く夢中にならないようにというのでしょうか

夢中になる場所を、強い管理下の狭い構内や、児童館に限定し、

プレステーションのような仮想ゲームに押し込めるのでしょうか。

かなり、異常な社会ではないでしょうか。

こうした環境で、子供達はどのような大人に成長するのでしょうか。

 

最寄の警察署の交通事故発生地図を一瞥するや明らかです。

いかに幹線道路からの交差点で、

交通規則を守っていても子供やお年寄りや自転車が、

交通事故にあっている事実です。

幹線道路が通れば、その交差点が、交通事故多発地帯となるのは明らかと、

警察署の担当者も説明してくれます。

圧力がかかると申し訳ないので、部署などは伏せて起きますが。

 

この車をどこでも通すだけの道路網を再考し、

車両規制や分離信号や沿道整備により安心して歩ける、

子供の自転車が通行できる舗道、

車両が乗り上げられない植え込みやガードレールがあり、

通行の幅を十分にとって、

電信柱を電信箱に変えてお年寄りも一休みできるベンチにして、

停車用のスペースも確保した車中心ではない道路網が、正に急務です。

まずは、通学路からです。(^_-)☆

そうして、それが、強い中心性を地域にもたらし、

小学校や地域のコミュニティ施設が、正に地域の中心となり、

強い中心性をもった安定した構造の地域社会となり、ハッピー
(^o^)

 

次回は、「BOUNDARY−境界性―」についてです。

どうぞ、お楽しみに〜(∩o∩)

 

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